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往生院(おうじょういん)は、熊本県熊本市西区にある浄土宗の寺院。山号は無量寿山。寺号は泰安寺。本尊は阿弥陀如来。 本堂前に僧放牛が亡父の供養のために造立した放牛地蔵の6体目と100体目の石仏がある。 == 歴史 == この寺は、安貞2年(1228年)法然の弟子弁長(聖光上人、聖光坊弁長、字は弁阿)が白川の辺に白川山往生院として開山した(創建寺地の伝承地は龍田村、大江町、南千反畑町の3か所がある)。これを加藤清正が古鍛冶屋町に移した。その後、元禄年中(1688年 - 1703年)に飽田郡古町村に替地されたが、堂宇が完成しないうちに、享保9年(1724年)現在地の池田村に移った。江戸時代にはこの地域における浄土宗の触頭〔触頭とは、江戸時代に江戸幕府や藩の寺社奉行の下で各宗派ごとに任命された特定の寺院のことで、本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い、地域内の寺院の統制を行った。〕の任に当たっていた。 往生院は1877年(明治10年)の西南戦争の時、熊本城攻撃の時の薩軍熊本隊本営となった。熊本隊は攻撃中止の変更を受け、吉次に転進した〔。なお、往生院の隣の光永寺(浄土真宗本願寺派)も、一時薩軍に占領され、戦闘の地になったので、本堂、山門に弾痕が残っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「往生院 (熊本市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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